宗教について 〜 人の生と死を考える 注63

公開: 2023年3月22日

更新: 2023年5月18日

注63. 第2次世界大戦と日本の無条件降伏

ヨーロッパ大陸では、1930年代からドイツでヒットラーのナチス・ドイツが台頭し、軍国主義化していました。イギリスは、そのドイツの台頭を抑えて、ヨーロッパ大陸における軍事的な緊張を抑制するような態勢を取っていました。そのイギリスの戦争を避けようとする姿勢を逆手にとって、ヒットラーは、チェコのドイツ隣接地域に侵攻し、さらにソ連のスターリンと密約を結び、ポーランドヘ攻め込み、占領しました。

このドイツによるポーランド侵攻をきっかけとして、イギリスとフランスを中心とした連合国と、ドイツとオーストリアを中心とした枢軸国が、軍事的な衝突を起こし、第2次世界大戦が始まりました。ドイツ軍は、直ぐにフランス国境を超えて、フランスを攻め、フランスを占領しました。フランス軍のドゴール将軍は、イギリスへ逃れ、亡命政権を設立しました。フランスに残った反トイツ勢力の人々は、武装蜂起してレジスタンス闘争を続けました。

1945年4月末、ヒットラーが自殺すると、5月にドイツ軍は、アメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ソ連軍を中心とした連合軍に降伏しました。この時点で、枢軸国として戦争を続けていたのは、日本軍だけでした。その日本軍も、武器や食料が不足した状態で、戦争を継続する能力はありませんでした。米英ソの首脳は、ドイツのポツダムで対日本の戦争を終わらせる目的で、ポツダム宣言を出しました。ポツダム宣言では、日本が無条件に降伏することが終戦の条件とされていました。

1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が投下され、大きな被害を受けていた日本に対して、ソ連が開戦を布告し、中国大陸東北部に攻め込みました。ソ連の参戦をきっかけとして、日本の首脳と天皇は、敗戦を覚悟し、ポツダム宣言の受け入れを承諾しました。これによって、第2次世界大戦は、終わりました。ただ、ソ連軍が攻め込だ樺太(カラフト)などの北方諸島における争いは、日本の無条件降伏の後も、9月まで続きました。

この間、カラフト南端の町にあった郵便局では、電話交換や電報の送受信で残っていた女子局員が集団自決する事件も発生しました。このような現地在住の日本人住民と、ソ連軍との衝突は続きましたが、樺太や北方四島は、最終的にソ連軍に占領されました。樺太の領有権は、ヤルタ会談で、米英首脳とスターリンとの会談の結果、密約で認められていました。国後、歯舞、択捉、色丹の4島については、ソ連軍が終戦時の混乱を利用して、占領したものと言えます。

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